すきなもの雑記

話したいことを話したいだけ

「窮鼠はチーズの夢を見る」感想

不思議な映画だった

マンガで繰り広げられるBLのストーリー展開を映像で表現しようとするとこうなるんだなあと。

たとえば…

場面転換の際、空白のコマがだんだん小さくなったと思ったら次のシーンは部屋の壁

そこに水音と喘ぎ声が書き込まれてしれっとベッドシーンになっとる…みたいな

 

ストーリーがブツブツ途切れてる感じで、

テーマとかモチーフとか伏線とかそういうものが明確に提示されなかったのが唐突だと思った原因かと思う。(急に再会する昔の恋人とか、場面転換後に亡くなってしまう上司とか)

おそらく漫画や小説で読んでいると文章や間で時間の流れを感じられるんだろうけど、モノローグやテロップのない今回のような映像でそれを感じるのは難しい

肝心要の恭一の感情の流れを察する材料が少なすぎて、強請られて無理やりだった関係が何をきっかけに傾いていったのか…?原作を読んでないから??よくわからなかった

あとウォーターサーバーあるのに冷蔵庫からミネラルウォーター出すんだーとか、砂浜に古い車乗り入れて大丈夫なのかなあとか

つまらないことが気になってしまった

 

ちなみに

最初に二人が鮨を食べに行くところから始まり、エビチリ、タイ料理(屋)、北京ダック、和風ハンバーグ…とやたら具体的な料理名が出てくる

料理や調理シーンや食事シーンがもたらす、食欲から性欲へのつながり、暗喩として料理は使えそうだなあと思った

そういう意味では映像のインサートはほとんどなく、登場人物の表情を克明に追っている感じ。

情緒は感じないけど、表現を曖昧にして逃げずに正面から撮影しているという誠意は感じられた

 

今ヶ瀬(成田)は役者の解釈が入ったナチュラルな感じがしたけど(行定勲作品なだけに窪塚洋介を思い出していた)、恭一(大倉)の行動とセリフ回しに虚構味がしてちょっと没入しづらかったかなあ…

部下に対する優しさを見ると、人たらしっぽいどうしようもなさも垣間見える

 

恋愛の物語を

同性愛による葛藤を差し引いて異性愛に置き換えたとして、それで違和感を感じるなら恋愛の物語とは言えないのかもしれない

逆を言えば感動や共感を抱かせる物語には異性愛も同性愛も関係ないのでは…と考えさせられた