ホテル雅叙園東京の百段階段の展示が気になったのでチケットを予約。目黒なのでついでに東京都庭園美術館も行こう、ぐるっとパスあるし。というわけで目黒さんぽに行ってまいりました
前回の目黒さんぽ
東京都庭園美術館は「建物公開2022 アール・デコの貴重書」という展覧会中。アール・デコが一世を風靡し現代産業装飾芸術国際博覧会としてパリ万博が開かれたのは1925年、まさに「グレート・ギャツビー」が出版された年なんてすね。という気持ちで見ていると、宮様と允子夫人がフィッツジェラルドどゼルダに見えてきたり…
今回きちんと説明を読んで興味深かったのは実際の施工に関わった宮内省内匠寮の存在です
特に照明と空調は全て異なるデザインで、一人で担当してよくこんなにアイデアが出てきたもんだと感心します。皇族の要望を実現していくプロ集団、お話にしたら面白そう。
さて、新館に移動したところでコーヒーのいい香りが。新館のカフェ、いつも人気ですよね。この日は空いていたので吸い寄せられるように入りました
文旦とDARUMAというティラミスにしたんですが
層ははっきり、でもしっとり。ジュレは爽やかで文旦はきちんと歯ごたえ。チーズと日本酒の風味が邪魔せずきちんと存在していてものすごく美味しかったです
層がきれい
さて本題。
ホテル雅叙園東京の百段階段です
「大正ロマン✕百段階段」という企画展をやっています
ホテルエントランスに受付があり、螺鈿で装飾された油圧式のエレベーターで上がります
写真も撮ったんですが…正直楽しかったのはこのエレベーターまででした
「???」という所がいくつかあって
帰って落ち着いてから雅叙園の変遷を調べたんですが、創業した細川力蔵以降の権利争いや松尾國三の横槍と分裂、イトマン事件と日本ドリーム観光、そこから千日デパート等…次から次へと「「昭和」」を煮詰めた絞り汁みたいなのが出てきて考えさせられました…
ちなみにホテル雅叙園東京の経営は日本ドリーム観光とは関係ないそうです。誤解を招きそうなので一応記しておきますね
都市・東京の記憶_タイトルから選ぶ_博覧会・産業/東京・雅叙園エハガキ
この姿がいつまで存在していたのかもわからない。分裂した際には残っていたのか…
しかも創業者が日本画のコレクションをしていて美術館があったにもかかわらず閉館を機に散逸…それが2002年なんて最近じゃないですか。現代の新規収蔵品ってこういう感じで手に入れるんでしょうかね〜、図書館とかで調べたら収蔵品一覧とか出てきそう
1991年の目黒川拡張工事も結構大規模だったようです。これでホテルの原型は変わってしまったのかも。
ホテル側のラウンジにつながる廊下には修復された壁画や天井画が並んでいるんですけど…
ほぼ表示がなく、何派の誰が描いたのか全くわからない。職人の作なら名前が残ってなくても仕方ないけど少しは情報がほしい。日本橋三越の天女だって裏には製作者の名前があるよ
百段階段の室内が暗いのも気になっていて…
和風建築って自然光の入る硝子窓とかその向こうに見えるお庭(たとえ日本庭園でなくても)とかも含めての良さなのに、その窓をあえて塞いでるんですね、ちょっと怖い
この百段階段(目黒雅叙園旧3号館)って外観写真がほぼ出てこなくて、ホテルの正面写真も屋根がちょこっと覗いてるくらい
外が見える窓から見てみると、かなり無骨な補強がされている…モルタルっぽい雨よけの渡り廊下らしきものもあって謎。どこにつながっているのか。
そして庭、掃除してないし植木の手入れもしてない。落ち葉くらい履こうよ客入れてんでしょと思った。すぐ裏がお寺なのでそこの敷地なのかしら。
説明書きに戦中で職にあぶれた画塾に競わせて作成されたって書いてあったんだけど、なんだかやりがい搾取に聞こえて…細川力蔵は美術品の蒐集ではなくあくまで客に対するアプローチとして作品を捉えていたということは、見栄えがすれば価値とかどうでも良かったの?だからこんなに雑なのかなあ。百段階段の最初の間に掛軸がかかっていたんですが、作品名も作者もなし。よれたままでかかっていてびっくりしました。収蔵品と言わないまでもホテルの備品として手入れする気もないのか、と…
朝香宮邸と雅叙園の竣工はともに1930年代。建物も「育つ」のだなぁということを感じました。
所有者を変えながらも愛を受けて美しく育つものがあれば、金や欲の犠牲になりいびつに育つものもある…
どちらにも共通するのは「未来」です
適切な愛を受ける未来が訪れますよう