すきなもの雑記

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歌舞伎の聖地と知らなかった六区の歴史…浅草さくっとさんぽ

歌舞伎の舞踊「三社祭」。

日本舞踊をベースにした美しい舞踊作品とは一線を画し、「善」と「悪」の面をつけた二人の漁師がユーモラスに踊ります

ユーモラスではありながら、舞踊のわからない私から見ても飛んだりはねたり立ったり座ったりのハードな振り付け。

しかも善玉と悪玉のお面は口でくわえているそうで…

舞台上に二人きりで、衣装替え等ではけることもなし。踊りの技術で勝負しなければならずとっても大変そうです。

 

そんな三社祭が8月、染五郎さんと團子さんのコンビで行われます
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二人が浅草神社で取材会をされていたので、わたしも浅草寺参拝のついでに浅草神社に寄ってみることに。縁起等を読んで今回初めて知ることが多々ありました。

浅草神社について | 浅草神社 三社様

 

いままで三社祭って江戸時代の漁師二人が黒雲に飲み込まれて…っていう「お祭り」に近い時代設定だと思っていたんですが…

あの漁師、600年代の人だってサ

聖観世音をすくい上げた2人とそれを奉納した真中知命を祀ってずっと「三社大権現」としていたのに神仏分離で「浅草神社」になったと。

お祭りだけは名前を残して「三社祭」。

もちろん舞踊は神仏分離の前に成立しているので名前も「三社祭」のまま。

なんか、ホント適当だよね〜。

拝殿の横に三社の石碑があったんですが、その経緯の説明からも適当さへの怒りみたいなものが伝わってきました。

 

ちなみに浅草寺の裏手、浅草病院の前には9代目團十郎銅像があります

戦時中、金物として差し出してしまってために戦後に鋳造し直したものとのこと。

 

また、雷門の左右の裏面には天龍と金龍の像が配されており、天龍は国立劇場の親獅子でお馴染み、平櫛田中の作だそうです。

見どころが色々とあります。

 

 

 

浅草寺浅草神社で参拝したあとに六区周辺を散歩。

この前、カメラ撮影の勉強しに江戸東京博物館に行ったんですが、中村座再現や歌舞伎諸々も面白かったんだけど、明治期の浅草六区にまつわる展示があって、それが全然知らないことだらけで興味深かった。

 

江戸時代から見世物小屋や歌舞伎の興行で賑わっていた浅草の奥山エリア。

区画整理のため六区を作りそこに娯楽施設をすべて移動させ、活動写真の隆盛もあり随一の歓楽街になったと。

 

当時の写真がすごくいい感じ…!

演目の看板に「アントニークレオパトラ」がかかっていて、それってこの前花組さんがやってた…!?となりました

のぼりが所狭しと並んで、西洋風の建物(ハリボテかもしれないけど)と人の行き交う大通りの感じ、わたしもその世界に存在してみたかった〜!

 

残念ながら今ではその賑わいは全く無く、通りの広さと建物の名前からほのかに残り香を感じる程度…

wikipediaを見ても高度経済成長の頃には衰退が始まっていたとあり、なんだか切ない気分になりました。

(なんとなく、治安悪くなって自滅したんだろうなっていうのは想像がつく。跡地は今もパチンコ屋とウインズだし)

 

浅草に取って代わったであろう新宿のカフェー文化については新宿歴史博物館が詳しいところ

ここも面白かった

 

現在映画と劇場の中心地である日比谷との関わりも興味深いですね

東京の歴史って面白い…けど

大抵調べていると関東大震災第二次世界大戦という2度の壊滅的な打撃で失われてしまっているんですよね

とても切ないです