2022年のトニー賞weekに合わせてディレイビューイングが決まっており会場は満席。私は初めての鑑賞でしたが、受賞を機に見返したくなるような見ごたえのある作品でした
ガラスで覆われたステージは回転することで時代や場所を転換していき、無造作に置かれた箱を次の位置に置きながら役者がセリフを話したりします
ドラマにも映画にもないストレートプレイの芝居だけが持つ魅力って「無い空間で有るように見せる所」だと思っていて、おそらく演出する側もそこに面白さを見出してるんじゃないかと思うんです
どこに面白さや見せ所を持ってくるかは媒体によって違っても、そこを押さえておけばジャンルとしての評価は損なわないというか…
今回舞台にあるのはソファ、机、箱、ガラスの壁、幕下のピアノ…そこに壁面の映像パネルがありスパイスとして「有る」ように見せる手助けをしていました。全体的に統一感があり映像も音楽も装置もインスタレーションを見ているみたいで、アート的評価も高そう
しかしこの作品の主体ははっきりと3人の役者であり、無機質寄りの映像と音楽と装置を動き回ることでリーマン家の長い歴史と上演時間にメリハリをつけています
リーマン家の栄枯盛衰に関わる老若男女を入れ代わり立ち代わり演じるのは引きで見るとちょっとコントっぽい笑。いや、規模の大きい落語や講談という方が正しいか…主演のアダム ゴドリーが振り返った瞬間子供になったり乙女になったりするんですが、本当にそう見えるの。落語の世間話から噺が始まる瞬間みたいな感覚になります
ところで。イギリスでアメリカが舞台のストーリーを演じるのってどういう感覚なんでしょうね。南北戦争も1920年代の狂乱の時代も通り過ぎていったけど、THEアメリカ!みたいな表現はあまりなくて。これは衣装で時代の表現ができないのと、音楽がピアノのみというのも関係ありそうだけど。全体の雰囲気を考えてあまり重きを置かなかったんでしょうかね。