すきなもの雑記

話したいことを話したいだけ

NTLiveリーマン・トリロジー

2022年のトニー賞weekに合わせてディレイビューイングが決まっており会場は満席。私は初めての鑑賞でしたが、受賞を機に見返したくなるような見ごたえのある作品でした

ガラスで覆われたステージは回転することで時代や場所を転換していき、無造作に置かれた箱を次の位置に置きながら役者がセリフを話したりします

ドラマにも映画にもないストレートプレイの芝居だけが持つ魅力って「無い空間で有るように見せる所」だと思っていて、おそらく演出する側もそこに面白さを見出してるんじゃないかと思うんです

どこに面白さや見せ所を持ってくるかは媒体によって違っても、そこを押さえておけばジャンルとしての評価は損なわないというか…

今回舞台にあるのはソファ、机、箱、ガラスの壁、幕下のピアノ…そこに壁面の映像パネルがありスパイスとして「有る」ように見せる手助けをしていました。全体的に統一感があり映像も音楽も装置もインスタレーションを見ているみたいで、アート的評価も高そう

しかしこの作品の主体ははっきりと3人の役者であり、無機質寄りの映像と音楽と装置を動き回ることでリーマン家の長い歴史と上演時間にメリハリをつけています

リーマン家の栄枯盛衰に関わる老若男女を入れ代わり立ち代わり演じるのは引きで見るとちょっとコントっぽい笑。いや、規模の大きい落語や講談という方が正しいか…主演のアダム ゴドリーが振り返った瞬間子供になったり乙女になったりするんですが、本当にそう見えるの。落語の世間話から噺が始まる瞬間みたいな感覚になります

 

ところで。イギリスでアメリカが舞台のストーリーを演じるのってどういう感覚なんでしょうね。南北戦争1920年代の狂乱の時代も通り過ぎていったけど、THEアメリカ!みたいな表現はあまりなくて。これは衣装で時代の表現ができないのと、音楽がピアノのみというのも関係ありそうだけど。全体の雰囲気を考えてあまり重きを置かなかったんでしょうかね。

 

鶴明会@浅草公会堂

2年前の配信で鏡獅子をやりたいと言っていた鶴松くん、納涼歌舞伎の主演を経てこのたび自主公演を開催しました。おめでとうございます。

体感ですが、他のお家より自分でご準備されていたもよう…本人が場所取りの抽選に並ぶって笑。

しかしながら衣装替えの間はご兄弟にトークしてもらい、お兄さんに至っては2日後に主演舞台の初日。手厚い援護射撃だったと思います。

 

・高坏

芸心と舞踊の技術がないと成り立たない難しい演目。

6代目菊五郎がフレッドアステアに感銘を受けて作った舞踊だとかなんとか…

ということは…6代目菊五郎と柚香さんは同担ってことなんですね(違)

鶴松くんは若いし真面目なので、このままずっと続けていって、おじさんになったときに面白みのでる演目になるんだと思います

虎ちゃんのテキトーな高足売、吉太朗くんの生真面目な太郎冠者がキャラに合っていて良かったです。高坏の次郎冠者がしっくりくるようになったら、鰯売も演じられる役者になるんだろうなと思いながら。

・春興鏡獅子

お稽古の様子が「あしたの内村」という番組で取り上げられていました

お兄さんの稽古、めちゃ優しかった

中村屋の巡業で浦島を演じた際、小道具の扱いがうまくてペン回し上手そうだな〜と思っていたのですが、鏡獅子の扇の扱いがメチャうまくてびっくりしました

特に扇を縦に重ねて人差し指で回すところとか、扇飛ばして持ち変えるところとか、むしろ慣れてる?くらいの扱いで良かったです

いつも言っていますが、鶴松くんは傾城より町娘なので、あまり役のベースは関係ない演目とはいえ、連れてこられてイヤイヤしてるところはとて可愛かったです

獅子へのギャップも、若いなりのガオーッっていう勢いがあって良かった

観客層は中村屋のファン、鶴松くんのプライベートの知り合いって感じで拍手喝采でした

いつもトークでいじりまくるご兄弟も、この日は鶴松くんを立てていましたね。その中でも勘九郎さんが鏡獅子を踊った際のお稽古で、幹部の三者三様のダメ出しで疲弊した話をそれぞれの特徴を交えて再現していて面白かったです

 

SNSと配信の可能性 中村鷹之資 トークイベント@銀座 蔦屋書店

中村鷹之資さんは7月に国立小劇場にて翔の會を開催されます

種之助さん鶴松さんときて、鷹之資さんの自主公演に行かない理由はなかったんですが、チケットが売り切れてしまってはどうすることもできず。

客演がすごいんだもん。猿之助さん猿弥さん松緑さん門之助さんですよ。というわけでトークイベントに参加することにしました

このツイートに運営の方からのリプがついてしまったのでそれ以降は控えましたが、実は最大限に褒める意味で、大ちゃん変わってんなぁ…ってつなげようと思ってました

紀尾井町家話に出ている際のお話ぶりからして、とてもお話上手でいい方なのはわかってました。船弁慶義経と静みたいな劇的な恋愛はしたことないから〜ってカラッと言ってましたね。ご自分は本当に歌舞伎のど真ん中にいるのに、俯瞰して見ているように語るんですよね。雰囲気は違いますが将棋の藤井聡太さんのような印象を受けます。

年越しはお能の先生に帯同して奉納を見学していたそうです。歌舞伎は衣装やかつらは分業だけど、能は自分たちで賄うから、チラシの静の着付をしてもらったときにすごく動きやすかったとか。お能は静かなイメージがあるけど、自分の師匠はとても体育会系だとか。

踊りの演目を習うと、お父様が言いづらくて変えた台詞が今やスタンダードになってしまったんだよと言われるそうで。お父様やお父様の踊りが好きなのが伝わってきました。供奴は松緑さんから教わったもので一度は素踊で披露したけど、きちんと衣装をつけて披露したいと思ったそう。

 

ところで

妹の愛子さんのお話で、現在お師匠のところで踊りのカセットテープを巻き戻すなどのアシスタントをしていると聞いて、激しく思い出したことが。

20年ほど前、高校生の頃に所属していた応援部がまさにそれで。下級生は大きい声で「テープ流します!」って言うんですよ。すぐに該当部分が流れるようにしないと先輩(2年生)に怒られるの。渡り廊下が練習場所だったので、流れてくるグランドの砂でラジカセが不調になるんですよ〜音が出ないと大声で謝らなきゃいけないからヒヤヒヤしたなあ。

あれから20年経ってまだそんな現場があるのか…デジタルにしよ?って思いました

あと鷹之資さん、未だにガラケー使いでSNSやり方がわからないって。

歌舞伎役者さんってSNSやらない方多いですよね。でも何となくそれが正解な気もしていて。

だって、紀尾井町家話も今回のトークイベントも有料なんですよ。歌舞伎役者さんのお話って基本的にはお金を払ってでも聞きたい人がいるものなんですよね。

以前若手がインラリレーやってたけど、紀尾井町家話とメンツが似ていて、じゃあ後者で2000円払う意味ないじゃんと思いました。

 

ちょっと話がズレますけど、宝塚の方がそういう管理は徹底してますよね。生徒さんはSNS禁止、お茶会は基本レポ禁止。最新情報は有料放送に一極集中。

松竹は有料チャンネルで衛星劇場がありますが、撮り下ろしがなくて満足度は低め。無料のBS松竹東急はオリジナル番組を始めたみたいですが見たいのは取材会とか座談会とか劇評とか、そういうのなんだよなあ…でも月イチくらいでレアな放送をしてくれるのでありがたくもあります

配信は配信で中村屋は独自に平成中村座チャンネル始めるし、松竹の公式YouTube 歌舞伎ましょうは制作も技術もお弟子さんで出来が拙いし…6代目菊五郎の映像を見てつくづく思いましたが、映像って未来永劫、資料として残せるものなんですよね。演目だけでなく芸談や企画モノも、役者さんを表すものとして細やかに作って欲しいですね

 

 

 

そこに…愛はあるんか?目黒さんぽ

ホテル雅叙園東京の百段階段の展示が気になったのでチケットを予約。目黒なのでついでに東京都庭園美術館も行こう、ぐるっとパスあるし。というわけで目黒さんぽに行ってまいりました

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前回の目黒さんぽ

 

東京都庭園美術館は「建物公開2022 アール・デコの貴重書」という展覧会中。アール・デコが一世を風靡し現代産業装飾芸術国際博覧会としてパリ万博が開かれたのは1925年、まさに「グレート・ギャツビー」が出版された年なんてすね。という気持ちで見ていると、宮様と允子夫人がフィッツジェラルドゼルダに見えてきたり…

今回きちんと説明を読んで興味深かったのは実際の施工に関わった宮内省内匠寮の存在です

特に照明と空調は全て異なるデザインで、一人で担当してよくこんなにアイデアが出てきたもんだと感心します。皇族の要望を実現していくプロ集団、お話にしたら面白そう。

さて、新館に移動したところでコーヒーのいい香りが。新館のカフェ、いつも人気ですよね。この日は空いていたので吸い寄せられるように入りました

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文旦とDARUMAというティラミスにしたんですが

層ははっきり、でもしっとり。ジュレは爽やかで文旦はきちんと歯ごたえ。チーズと日本酒の風味が邪魔せずきちんと存在していてものすごく美味しかったです

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層がきれい

 

さて本題。

ホテル雅叙園東京の百段階段です

大正ロマン✕百段階段」という企画展をやっています

ホテルエントランスに受付があり、螺鈿で装飾された油圧式のエレベーターで上がります

写真も撮ったんですが…正直楽しかったのはこのエレベーターまででした

「???」という所がいくつかあって

帰って落ち着いてから雅叙園の変遷を調べたんですが、創業した細川力蔵以降の権利争いや松尾國三の横槍と分裂、イトマン事件と日本ドリーム観光、そこから千日デパート等…次から次へと「「昭和」」を煮詰めた絞り汁みたいなのが出てきて考えさせられました…

ちなみにホテル雅叙園東京の経営は日本ドリーム観光とは関係ないそうです。誤解を招きそうなので一応記しておきますね

都市・東京の記憶_タイトルから選ぶ_博覧会・産業/東京・雅叙園エハガキ

この姿がいつまで存在していたのかもわからない。分裂した際には残っていたのか…

しかも創業者が日本画のコレクションをしていて美術館があったにもかかわらず閉館を機に散逸…それが2002年なんて最近じゃないですか。現代の新規収蔵品ってこういう感じで手に入れるんでしょうかね〜、図書館とかで調べたら収蔵品一覧とか出てきそう

 

1991年の目黒川拡張工事も結構大規模だったようです。これでホテルの原型は変わってしまったのかも。

ホテル側のラウンジにつながる廊下には修復された壁画や天井画が並んでいるんですけど…

ほぼ表示がなく、何派の誰が描いたのか全くわからない。職人の作なら名前が残ってなくても仕方ないけど少しは情報がほしい。日本橋三越の天女だって裏には製作者の名前があるよ

百段階段の室内が暗いのも気になっていて…

和風建築って自然光の入る硝子窓とかその向こうに見えるお庭(たとえ日本庭園でなくても)とかも含めての良さなのに、その窓をあえて塞いでるんですね、ちょっと怖い

この百段階段(目黒雅叙園旧3号館)って外観写真がほぼ出てこなくて、ホテルの正面写真も屋根がちょこっと覗いてるくらい

外が見える窓から見てみると、かなり無骨な補強がされている…モルタルっぽい雨よけの渡り廊下らしきものもあって謎。どこにつながっているのか。

そして庭、掃除してないし植木の手入れもしてない。落ち葉くらい履こうよ客入れてんでしょと思った。すぐ裏がお寺なのでそこの敷地なのかしら。

説明書きに戦中で職にあぶれた画塾に競わせて作成されたって書いてあったんだけど、なんだかやりがい搾取に聞こえて…細川力蔵は美術品の蒐集ではなくあくまで客に対するアプローチとして作品を捉えていたということは、見栄えがすれば価値とかどうでも良かったの?だからこんなに雑なのかなあ。百段階段の最初の間に掛軸がかかっていたんですが、作品名も作者もなし。よれたままでかかっていてびっくりしました。収蔵品と言わないまでもホテルの備品として手入れする気もないのか、と…

朝香宮邸と雅叙園の竣工はともに1930年代。建物も「育つ」のだなぁということを感じました。

所有者を変えながらも愛を受けて美しく育つものがあれば、金や欲の犠牲になりいびつに育つものもある…

どちらにも共通するのは「未来」です

適切な愛を受ける未来が訪れますよう

 

 

 

 

 

 

 

まだ始まってないのにグレート・ギャツビーに首まで浸かっている話

月組のTHE  LAST PARTY(フィッツジェラルドを主人公にした話)のれこうみの芝居にしびれる

フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー月組で上演決定

→小説を読んでどっぷりなる

→映画版を見てさらに面白くなり、宝塚版と解釈違いを起こさないか心配になる(今ここ)

 

なぜグレート・ギャツビーアメリカ文学の傑作と言われているのか?

普段並行して歌舞伎を見ているので、この物語を読んだあと、歌舞伎に頻出する「因果」という概念が頭に浮かびました

「因果」をわかりやすく言うと「悪いことをした人はその報いを受ける」というもの

日本の古典芸能では「因果」は本人に限らず家族に向くことがあります。つまり親がした悪事の報いを子が受けたりするんですね。それが現代の作品に描かれる家族愛の対極にあるように思えて、非常に興味深いです

わかりやすい例が三人吉三

おとせは盗人の親が捨てた双子の弟と大人になって知らずに結ばれ、それを知った兄に惨殺される

 

国の違いはあれど、この考えがギャツビーのストーリーの底辺に横たわっています

ニックが一連の出来事を印象深く思っている理由として、ギャツビーという特異な人物に対しての親愛、そしてトムとデイジーが引き金をひいた死が、特権階級ゆえに彼らに何の報いももたらさなかったという虚しさが挙げられます

このタイトルをそのまま冠する映画は2種類あり1974版と2013版です

2013版は映像の美しさはあるものの現代的脚色やストーリーの改変、映像技術の粗さなどがあり、作品からナルシズムのような陶酔を感じます

1974版はまだ小説発表からそこまで年月が経っていないこともあり、当時の空気感が反映されていると感じます。ストーリーを丁寧になぞっているので文章の世界が忠実に映像になっていて感動しました

2013版では精神的に不安定なニックが更生のために過去を振り返る形で物語が進み、ラストは美しいロングアイランドで終わります。しかしこれだと物語としては中途半端に感じられます。

一方1974版。夫の愛人マートルをそうとは知らずひき逃げしたデイジーとトムはヨーロッパに移ろうとし、その直前にニックと再会します。小説のとおりです

2人はギャツビーとウィルソンが死んだことなど忘れたように生きている、ニックにも平然と握手を求めてきます

小説の冒頭にあるように、ニックはメンドクサイ人に好かれがちなお人好しなんです。お人好しだからギャツビーのことを忘れようとしている夫婦が理解できない。

物語はここで終わりますが、この夫婦そして娘が幸せになるのだろうかと考えさせられます。「女は馬鹿な方がいいから生まれた子が娘だと知って泣いた」とニックに漏らしたデイジーの言葉が暗示しているようです

そもそも、ギャツビーがそこまで執着したデイジーも彼が妄想の中で飾り付けた虚像に過ぎません

物語のヤマ場になるのはプラザホテルの一室。エアコンのないニューヨークの摩天楼で暑さにうだる豪華な部屋、というアンバランスな舞台でギャツビー一世一代の駆け引きが始まります

しかしそこでデイジーは煮えきらない。トムの傲慢さを知りながら目の前にぶら下げられたトムの優しさにすり寄ってしまう。マートルをひき逃げした自覚はあっても、一晩トムに打ち明けたら翌朝からは後ろめたさもなく生きられる都合のいい女。そして夫の浮気相手をそうとは知らず妻が殺す、浮気相手の本当の夫が妻の浮気相手を勘違いして殺す(吹き込むのは夫)という「因果」ができあがるのです

フィッツジェラルドは計算高くこの物語を書いたのか?おそらくそうではなく、直感的なバランスの産物なのではないでしょうか。プライベートにおけるゼルダとの関係が作品に独自の歩みをもたらし、それがきっかけでその後の人生の栄光と転落に苦しむことになったと。読者はそこまで物語にもう1つのベールを重ねながら読み進めることができます。

さて、ストーリーの奥深さとは別のベクトルで情景の美しさが際立っているのがこの作品の素晴らしいところです。

冒頭ニックがトムの屋敷を訪ね白いカーテンが風に揺れる午後。

ここは新旧両方の映画でも印象的に描かれています。パステル調の優しい色合いの室内で、原作では文字から、映画では映像から、それぞれ美しさを堪能できます

かと思えば煤けた炭鉱の町に眼鏡屋の大きな看板。ここに具体的な名前を持ってくるのがフィッツジェラルドのセンスなんでしょう。このシーンも印象的です。ちなみに新版はマートルだけが汚れていない綺麗な服を着ていてちょっと違和感を感じたりしました。

そしてマートルのアパート。ここだけは毒々しく退廃的に。

深夜のパーティ、灯台の灯りをつかもうとする人影、運び込まれ花だらけになるニックの家、夏の海、お屋敷のプール…まるで楽しかった夏休みの思い出のようで感傷を誘います

中でもギャツビーがお屋敷の棚からシャツを延々と引っ張り出すエピソード。仕立ての良いシャツに埋もれるギャツビーとデイジー。きれいに畳まれたものをぐちゃぐちゃにしていくさまは社交界道徳心の破壊という暗喩が感じ取れます

 

 

解釈違いと言いつつも、わたしはニック(語り手)のことは完全に演じる風間さんだと思って読んでました。ビジュアルではなく中の人の風間さんだと思って。本当におかしな話で、中の人の風間さんが女性なのは承知しているんだけど、こういうこと言いそう、こういうことしそう…と姿が脳裏に浮かぶんです

例えば女子プロゴルファーのジョーダンがニックのことを好きだという、でもそれは心を込めてじゃなく、風が吹くようにさらりとしたもので。ニックは恋愛のいざこざで東部に逃げてきたような状況なんだけど、「まあステータスのある綺麗な女に言い寄られると悪い気はしないな、キスでもしとくか」みたいな、あわよくばって感じ。そこが好き。でもペペルみたいな悪気はないんです。ニックはいいヤツなの。そこがダルレークとの違いですね

 

まだ配役が出てないのですが、ジョーダンは天紫珠李ちゃんだろうと思っていて、風間さんは珠李ちゃんのことをとても可愛がっているのが伝わってくるのでこのカップルで見たいですね

2人はきっちりした別れも描かれないんですが、風が吹きやんだらそこには何も残らないみたいな感じでそれはそれで良いんです。そもそも物語の終焉に向けて、ニックの気持ちはギャツビーに向いているのでジョーダンどころではない。ニックにとってジョーダンはその程度の女性。現代の作品なら雑だとか配慮が足りないとか言われそうですけど、その粗さなのか計算なのかが紙一重というのがこの作品の良さなんだと思います

 

ギャツビーを演じるれいこさんの一筋縄ではいかない所もギャツビーと重なるのが良いですよね。ニンだと思います。「川霧の橋」では川でしか本心を言えない幸次郎でしたよね。野望のためには危ないことも平気でする、だけど本当に大切なものの前では挙動不審になっちゃう二面性は難しい役どころかもしれませんが、愛すべきギャツビーを演じてくれると思います。

そして何より、トムを演じるちなつさんとのガチンコ勝負!正面切って愛する人を奪い合う関係って今までなかったですよね

ちなつさんはポーの一族でもはいからさんでも魅力的な役作りしてきていたのでメチャ楽しみ。

海ちゃんとは「出島小宇宙戦争」のデュエダンが素晴らしくて、ダンスのポテンシャルを引き出していました

配役が出るのが楽しみです

 

 

 

NTLive 「ブック オブ ダスト〜美しき野生〜」

初めてナショナル・シアター・ライブの上映に行ってきました

構成はMETとほぼ同じで幕間はリアルタイム、各部開演前にスタッフインタビューが入ります

なんか主役マルコムの外見が小説の表紙と全然違うが汗

劇場の観客がやたら笑ってるんですがその理由は最後までわかりませんでした。役者さんの言い回しとかなのかな。笑ってみていられるほどのコメディシーンはあまりありません

ファンタジーという感じもあまりなく、現実世界とはダイモンがいるかいないか程度。夜の場面が多いのでずっと舞台が暗いです。

そのせいかダイモンはオーバーオールを着た役者さんがパペットのように操っても違和感がありません。デフォルメし、紙人形のような角ばった造形で明かりがほのかに灯っていて生命の輝きを感じます

ダイモンの表現が抽象的でとても良く、その割にアナログに操っているので文楽人形遣いのような職人的ストイックさもあり感動しました

洪水に見舞われた街を舞台に描きますが背面パネルと床の映像の切り替わりが見事で、奥行きのある舞台に本当に水が流れ込んだり水が引いて陸地に到着したりします

舞台の配置もかなり特殊で、縦長に使っているため奥行きがあります

この奥行きが川に見えたり孤児院の長い廊下に見えたりします

一番驚いたのが、キーパーソンの赤ちゃんライラが本当に赤ちゃんなの。瞳をぱっちり開けて存在していました

なんのことかと思っていたサブタイトルの「美しき野生」はカヌーの名前でした

クリスタル・スペース・オペラ 宝塚月組 Rain on Neptune

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一番言いたいことはですね

谷先生、うーちゃんを見つけてくれてありがとう!

今回トレフル役のうーちゃんの使われ方が正解も正解。

まず縁太メガネにビーニーに変な柄の靴下とリュックにオーバーオールで、典型的なサブカル好きの機械オタクという外見。しかも弟キャラでやんちゃ。あんなに長い劇中のソロパート、わたしは初めて見たんですが、安定しててめちゃ上手かった!ほんとに好きな造形でパフォーマンスもよくて感涙です。

以上です!

ありがとうございました!!

 

って、オイ。

 

…すみません。心は正直、ギャツビーに行き過ぎていて…始まってもいない公演に心を持ってかれて小説と新旧映画でわくわくが止まりません

この話は止まらなくなるので別で。

 

RoN、カウボーイビバップや前に書いたスペーススウィーパーズ

のようなスペースモノのエピソード、海王星に不時着したらそこは幻想的な宝石の国だった!の巻、って感じでしたね

 

乗組員4人の話、きっとそっちが本筋なんだと思います(違)そのくらい、れいこさんもるねぴもみちるちゃんもキャラがたっていた

 

海ちゃんはハイライトが本当にきれいだった。面長タイプの方は美人方向に振れて羨ましい…

回想のオフホワイトの衣装もレイヤードが凝ってて素敵でした。少年シャトーと草原にいてほしいな。蘭くん出番多かったですね、良かった。

宝石さんたちも可愛かった。からんさんとヤスちゃんが1番前に来ていたかな。このお二方の芝居になんの不安がありましょう。るみこさんとさち花お姉さまも同じく。「こうでなければならない」が無いキャラクターなので演じがいがありそう

ちなつさんはオシャレな科学者。コミカルだけど影もある。

装置が凝っていて、回転しながらうまく使ってるなと思いました。

 

ショーは大人数の場が多くて記憶が…

海ちゃんのモアナの曲はほぼ地声でいってて良かった、あそこは気合で地声でいった方がいいなとナウオン見て思っていたので。

みちるちゃんの乙女のポリシーセーラームーンの一期(確か)のエンディングでしたかね?可愛くて泣けるよねえ。久々に読み直して、好きな世界観ではないけどよくできてる物語だナーって思いました

で、ムーンライト伝説が宝塚仕様にハマりすぎちゃって、もう宝塚の曲ってことにすれば?っていうくらい合ってた

れいこさんは前半のコートといい、カッチリした服が似合いますよね〜というか宝塚でカッチリしてない服の方が珍しいか。ショーでは白いキラキラロング燕尾みたいなのを着てました。蒼紫様やるのにも割と合ってた

 

というわけで、楽しんで見れましたが…2点。

まず会場とディズニーがファン層と合わない点。生徒さんはとっても合う、むしろ日本でトップクラスに合うと思うんですが、ファンの年齢層が高いので、浮き方が半端ないなと思って歩いてました。いくらムラと舞浜が「造られた街」という共通項があったとしても埋められない所で、不思議なもんです。

 

次に月組の長所と谷先生の長所にズレがある点。

谷先生は月組作品をたくさん演出してくださってますが、演出の雰囲気は花組とか星組が合うんじゃないかなぁと思います

月組はストレートにお芝居ができる組なので、例えば衣装はシンプルにセットはモノクロとか、過剰なものを引いていけば行くほど良さの出る組だと思うんです。つまりはLAST PARTYなんですが。

からんさんは今回のような役も映えるけど本質は魂を見せる役者だし、るみこさんは乾いた演技を見せる達人だし、ヤスちゃんやみよっしーや蘭くんは細かいところで見せるいぶし銀の活躍が光る職人タイプなので、実はブエノスのみたいな方が活きるんだよなあと。

ストーリーが、尺の関係とはいえふわっとしていたのが何とも。月組は深い芝居できるのになあと思いながら見てました。ディズニーリゾートのミッキーの長めのショー+α、くらいの感じで見ればいいと思います

 

と。ここまで書いて思いましたが、ありちゃんの新たな可能性をひらくためのブエノスだとしたら、逆もまたしかり…?ということは月組大劇場で谷先生のオリジナルがあったりするのだろうか…